読書感想文

読んだ本の感想を書きます。

子どもがうっかり読んでしまったら大人になっても忘れられない「幸せな家族 そしてその頃はやった唄」

これはある、幸せな家族の話

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あらすじ

保険会社のCMに選ばれた家族。しかし撮影が始まる直前に次々と家族が変死していく。しかもそれはある唄の歌詞にそっくりな死に方だった。父、兄、母、姉...最後に残った子どもは家族が亡くなる1年前から家族とその周辺のことを録音テープに残していた。一体、誰が家族を殺したのか。

 

 

※この先ネタバレを含みますのでご注意ください。

 

 

とにかく驚いたのがこの本がまさかの「児童書」に分類されていることだった。作者が元々児童向けの本を書く方だったそうなのだが、家族が次々と変死していく児童書って世界中探してもそうそうない気がする。自分が小学生の時に、学校の図書館の本棚に並べられてて何気なく読んでたら、大人になってもずっと忘れられない本になっていたと思う。

 

 

この不気味さはどこから来るのだろうか?

しあわせな家族は終始どことなく不気味さを感じるなと思った。この不気味さの解像度をあげていくといくつかの要因があるんじゃないかと思った。

まず、家族が1人ずつ死んでいく様子を主人公の省一が語っていくのだが、それがあまりにも淡々としていること。普通家族が亡くなったら、悲壮に暮れる描写がありそうだが、そういうものがなく本当に淡々としている。そのくせ、父や兄の横暴な発言に対する怒りや、マスコミから取材を受ける事が少なくなる事への物足りなさはしっかり語っていて、そのアンバランス感が不気味さを感じさせているのではないかと思う。

また、「その頃はやった唄」という唄のタイトルもかなり不気味だ。誰が作ったのか、「その頃」がいつなのか、そしてそんな唄を何故尚平おじさんは知っていたのか。設定はしっかりしているのに、それ以外のことはぼんやりとしか分からないっていうのが、都市伝説的な怖さを感じた。

 

ミステリアスな美女・姉の一美

この本の中で強烈に印象に残ったのが、長女の一美だ。美人で頭が良く、17歳になる少女とは思えないほどしっかりしている。リアルにいたら芦田愛菜ちゃんみたいな感じなんだろうか。

だが、この姉、終始本心が見えない。それなのに、全て見透かしているような雰囲気がある。省一でさえ、姉を心から尊敬する(そして恋心のようなものも抱いている)一方、そういうところを怖いと感じていた。小説の中の、ミステリアスな美女って自分はすごく好きだ。最後まで内面がほとんど語られることがなく、分からないまま終わる方が、読んだ後でもずっと心に残るからだ。

 

一美の手紙の真相

「殺されるのがわかっていて、こわくないの」なんて、きかないでね。こわいけど、そうされることがいちばんだと思うの。だっていつかは警察も省一を逮捕するわ。それも、もうすぐよ。そのときになって......、わたし一人になって、それでも生きていてもね......。省一。この一年間、わたしもぜんぜんたいくつしなかったわ。

普通なら、家族がいなくなって一人残されるのが寂しいというところが妥当だろう。だけど「わたしもこの一年間、ぜんぜんたいくつしなかったわ。」という一文があることを考えると、一美は家族が全員いなくなって退屈な人生を生きるくらいなら殺された方がマシ、と言っているのではないかと考えられる。

冒頭で省一が言っていた「たいくつ病」がまさか物語の最後で姉の伏線になっていたのには驚いた。

 

おそらく姉も省一も、欲しいものを何でも与えられる環境で育ったからこそ、病的なほど刺激に飢えていたのではないかと思う。姉が交際していた秋山は平凡な青年で姉が興味を持つような人間ではなさそうに思えた。しかし中道家に来た時に省一のたいくつ病についてそのような事を言及していて、姉はもしかしたらそういう客観的な意見を述べられる人間に興味を持ったのかもしれない。だけどそれはあくまで「興味」であって「愛情」ではなかった。だから自分が弟に殺されるために、彼を巻き込むことを躊躇しなかった。

姉はどの時点で弟の殺人に気づいていたかは分からないが、おそらく母親が殺される前には気づいていたのだと思う。それでも黙って衰弱した母親を介抱し続けた。

 

そう考えると、実際に手を下さなかったこの美しい姉が、一番恐ろしかったのではないかと思った。

「対岸の家事」を読んで専業主婦に対しての考え方が少し変わった

「わたし、定時で帰ります」の作者朱野帰子さんの作品の「対岸の家事」を読んだ。

 

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あらすじ

家事を仕事に選んだ専業主婦の詩穂は3歳の娘と2人きりの毎日を過ごしている。自分の家事に誇りを持ちつつ、このままでいいのかな、と悩みながら過ごしていく中で働きながらワンオペ育児で疲弊する母親、育休中のエリート公務員の父親、子供が出来ずプレッシャーをかけられる主婦など、立場は違っても同じ悩みを抱える人たちに出会う。悩める人たちは詩穂に手を差し伸べられ、家事というものが抱える苦しさを解きほぐしながら前に向かって進んでいく。

 

専業主婦の詩穂

おっとりしていて少し世間の諸事情に疎い(大蔵省がなくなったことや専業主婦が珍しいことを知らなかったり)。

のんびりした雰囲気だが隣に住むワーキングマザーの礼子から長期間子供を預かるのを頼まれた時に断ったりするなど、嫌なことはちゃんと断ることができる真の強さもある。


詩穂の専業主婦像を見ると意外だった。

このご時世、自ら専業主婦を選択する人って家事を言い訳に自分が働かない事を正当化して、かつ、人から養ってもらうのが当たり前だと思っているような人だと思っていた。


だけど詩穂は働くのが嫌いじゃない。むしろ、本当は働いた方がいいんじゃないか、と悩んでいるくらいだ。中学生の時に母親を亡くし、父親が全く家事をしないため、学校に通いながら一家の家事を全て担っていた経験から、自分は二つの物事が同時にできない事を悟り、自分の家事を喜んでくれる人に家事をやってあげたいと思うようになった。


詩穂の人物像を見ていると、専業主婦の図々しいイメージがあまり湧いてこない。詩穂は自己分析の結果、自分に向いていて、かつ、やりがいを感じられるのが専業主婦という職業だと理解したのだ。それは自分が大学を卒業した後どこに就職するのか考えている時と同じだった事に気づいた。そう考えると専業主婦っていうのは進学とか就職みたいな一つの進路選択だったんだなと思った


専業主婦だからこそできること

詩穂は以前働かない事に嫌味を言われたのに、仕事と家庭の両立で追い詰められた礼子に対し「どうしたらいいか一緒に考えましょう!」と手を差し伸べる。

また、嫌がらせをしてきた相手にも、周囲は捕まえて罰を与えてやろうとするのに対し、彼女は相手がそうするには何か理由があるからだと考え、その相手まで助けようとする。


それは彼女自身もたくさん悩んできたからこそ、誰もが時には嫌な気持ちが芽生えることを知っていて、だからこそ、そんな時に突き放すのではなく助けてあげたいと思っているからだ。そしてそれは、詩穂が時間に余裕のある専業主婦だからこそできたことだと思う。

 

働いている人は、常に仕事の締切に追われ、隙間を縫って家事や育児をこなしていて自分のことでパンパンになっている。そんな生活をしていたら到底、他人の生活のことを考えたり、他人を赦すことなどなかなかできないのではないか。

 

時間に余裕があれば気持ちに余裕が生まれ、人に優しくできる。少しくらい手を抜いたっていいから、1人で何でもやろうとせずに、ゆっくり考えていけばいい。専業主婦の詩穂がそう教えてくれた。

 

 


専業主婦は家庭の特段の事情がない限り、需要はあまりないかもしれない。だけどお金を稼ぐ事だけが人の価値を決めるものでないことは、この先胸に留めておきたいと思う。

「ナミヤ雑貨店の奇蹟」の感想〜人生の相互作用が魅せる面白さ〜

 

ナミヤ雑貨店の奇蹟を読んだ。

文庫本の表紙の雰囲気から読む前までは、子供向けのファンタジー系の小説なのかと思っていたが、読んでみるとファンタジー要素もありつつ結構リアルな人生模様が描かれていて、老若男女楽しめる内容だった。

 

あらすじ

”悪事を働いた3人が逃げ込んだ古い家。そこはかつて悩み相談を請け負っていた雑貨店だった。廃業しているはずの店内に、突然シャッターの郵便口から悩み相談の手紙が落ちてきた。時空を超えて過去から投函されたのか?3人は戸惑いながらも当時の店主・浪矢雄治に代わって返事を書くが…。次第に明らかになる雑貨店の秘密と、ある児童養護施設との関係。悩める人々を救ってきた雑貨店は、最後に再び奇蹟を起こせるか!?”

東野圭吾「ナミヤ雑貨店の奇蹟」(角川文庫)のあらすじより

 

いろんな人生が絡み合って物語が進んでいく

ナミヤ雑貨店の奇跡は各章ごとに、その章の主役となる相談者が登場するが、その相談者達がその章で起こした行動が別の章に登場する、全く関連がないと思っていた別の相談者の人生に大きく影響を及ぼす。

 


例えば、芽が出ないミュージシャン志望の相談者が、出演先の児童養護施設で自作の曲を演奏し、施設のある女の子に褒められる。ある日施設が火事になり、その女の子の弟を火事の中から救い命を落としてしまう。その女の子は、彼への感謝と償いの気持ちを込めて彼の曲を歌って日本の大スターとなる。その大スターは、ナミヤ雑貨店の相談者たちになった3人組の希望の星でもあったことが判明し、彼らの回答に変化をもたらす。


このように、物語の登場人物たちの選択が思わぬかたちで相互作用していくとこで、物語にどんどん厚みを増していくのが読み応えがあった。

 


きっと誰もが誰かのインフルエンサー

たまたまナミヤ雑貨店に迷い込んだ3人はその不思議な空間の中で、過去の時代に生きている相談者たちと手紙のやりとりをするが、その間は現実の時間は止まっていて、相談者たちの人生が動いていく中で当の回答者の3人の人生は止まったままだ。だが、3人が相談者たちと手紙を交わしていき、徐々に3人の人生も動き出すことになる。


また、実際に悩み相談にのっていたナミヤ雑貨店の店主も相談者たちと手紙のやりとりを交わす中で、自分の考えが変わっていったことも明かされている。


自分の人生が他人の人生に影響を与え、また、他人の人生から影響を受けて自分の人生も少しずつ変化していく。そう思うと、インフルエンサーという職業はまさに人生の仕組みそのものなんじゃないか。


自分は何の影響力もない人間だと思っていたとしても、もしかしたら、自分の何気なくした発言・選択で他人の人生に何かしらの影響を与えているかももしれない。例えそれが目に見えなくても、どこかで0が1になっているかもしれない。ナミヤ雑貨店の登場人物たちだって、それぞれ自分がどれだけ人に影響を与えているかはほとんど無自覚だ。

そういう意味で、言葉の厳密な定義は違うかもしれないが、誰もが誰かのインフルエンサーなんじゃないかと思った。